#VOID思考のドツボにはまっている。続きを読む煙霧のこと、わからん。おまえはなにものだ……?少しずつ、今のVOIDとしての煙霧と過去にヒトとして生きていた煙霧の統合が取れてきた気はする。そしてあまりにも残される側になる人がそばに増えてきたので……いちばんさいしょに事故によって遺される側になっていたはずの、そしていちばんさいしょに遺すものになり得た煙霧には、その答えを提示していく役割があるような気がしている。別の言い方をすると、自分の意見を押し付けようとしたり、グレたり駄々捏ねたり、感情的な行動をとるなら多分このあと!👉とCONBEXが思ってるということ。煙霧から言えることとはなんだろう。死者を蘇らせるような真似はしないように?たとえば、もしニトリトちゃんが寂しさからキョウさんの模造品をつくろうとするなら、それに煙霧はいい顔をしない気がする。煙霧がヤスハル君を庇った時はきっとそんなに難しいことは考えてなくて、自分が欠けてもヤスハル君が生きていれば、自分がいないなりの幸福が彼の周りに生まれ得ると思ったからそうしたんだと思うし。覚悟をする為の予兆があっただろうキョウやアカボシたちだって、それなりの信頼の上に遺すものを決めたことは同じだろう。少なくとも、煙霧の尺度で測るなら。言語化するなら「遺すものは貴方の未来を望んでいる。共にあり続けたいと思うのなら実体なんかにして貴方の外に彼らを取り残そうとしないで、彼らの思い出とあなた自身とを溶け合わせることで共に生きて欲しい」というところだろうか。これはヤスハルくんの肉体と一緒(物理)になっているかもしれない煙霧にあえていわせる脚本ベックスのチョケでもあります。上記の考えは多分ポコ僕の思想には反するものだと思うのですが、それ以外の部分でも、煙霧って結構ポコ僕の思考に対して反対派でいて……仮にポコ僕には反してなくても、少なくともおねーちゃんとは思想対立してそうなのは目にみえてて……なんだか、お父さんとお母さんの偏屈なところばかりを受け継いだようになってて乾いた笑いがでちまうね。特に反対しているのは、一瞬の切り抜きで個人を定義できないことは当然として、だからと言って仮定に基づいてなんでも許容していたら大切なものは壊れてしまうというのと、一度失われたものを同じ形のなにかに投影するのは、造られたものにも失われたものにも失礼だというところ。たとえばピカピカのアンドロイドがポコと名付けられたとして、もしもそれが名付け人の思うポコの定義から外れた行為をするなら、名付け人は新しいアンドロイドの思考を否定するのか。そして否定されるなら、その否定を恐れてポコになりきろうとするソレと名付け人の関係は健全であるのか。とか。ポコとの差異として現れるソレに名前を付けないのはソレに対して不義理では無いか、とか。上記思考があるなら煙霧自身は自分の存在を正しいと思うの?正しく無いと思うの?という謎が発生するかと思います。その件に関しては、煙霧は我思う故に我あり、つまり自分の思考は作られたものではなく生きていた煙霧の思考をそのまま受け継いだから問題はない……と思おうとしていると思います。実験は成功だ、と記憶の中のアリマが語るように、煙霧の思考はまるっとスタックの中にうつされているのでしょう。よくもわるくも、彼が我が子として愛した煙霧の側面以外もまとめて。それが一側面だけを知る他人が複製したAIデータとの相違点。しかし、それを証明できる人はどこにもいません。あくまで主観の話。だから煙霧はそう考えている、ではなく、そう思おうとしているというのが正しい。おそらくは、煙霧自身にも「私は哲学的ゾンビかも、スワンプマンかも、私の思考は私が私だと思っているだけで、ヒトの煙霧とは全く異なる思考なのかも」という懸念はある。だけどその懸念は自分だけの問題で、他人を巻き込む必要のない話なので端折っている。ここほうれん草できてないポイントです👉煙霧はにんげんさんの健やかな生活を応援する寄り添い方VOIDとして今を過ごしているのでね……ヒトだったかもしれない煙霧の思考は基本的には、よほど甘えられる相手にしか出さない。そして甘えられると言えば、煙霧にはまだ実父という存在が残っているから。だから煙霧はアリマに対しては、「貴方に私は必要なかった。貴方に必要だったのは『家族』という形の寄る辺だけだ」というのを多分言います。ほんとは悪い子じゃ無いとか、完璧なひとはいないとか、そんなことはどうでもよくて。ただ、私はそれにひどく傷つけられたのだと。当事者だからそのくらいの怒りは持っていいと思うのよ。刺されたのは自己責任の範疇として、勝手に改造されて勝手に守られて勝手に身体を交渉材料にされて……おこっていいよ!これは!あと、怒るって行為は究極「相手は自分の不満をきいてくれる」と思っている信頼や甘えの現れでもあると思うので……ね。自身がアリマの子だと知らないうちから煙霧はVOIDをヒトの為の道具だと定義していた。親子で無意識的に同じことを思ってしまうなら、同じ罪を重ねる恐れがあるのなら、死者との同化とは対照的に、生者を否定し分離させることで自らの思想を「あいつの影響」と切り離すのだなあ。と。そんなかんじでした。畳む 2024.11.1(Fri) 01:09:37 クトゥルフ
思考のドツボにはまっている。
煙霧のこと、わからん。おまえはなにものだ……?
少しずつ、今のVOIDとしての煙霧と過去にヒトとして生きていた煙霧の統合が取れてきた気はする。
そしてあまりにも残される側になる人がそばに増えてきたので……いちばんさいしょに事故によって遺される側になっていたはずの、そしていちばんさいしょに遺すものになり得た煙霧には、その答えを提示していく役割があるような気がしている。
別の言い方をすると、自分の意見を押し付けようとしたり、グレたり駄々捏ねたり、感情的な行動をとるなら多分このあと!👉とCONBEXが思ってるということ。
煙霧から言えることとはなんだろう。
死者を蘇らせるような真似はしないように?
たとえば、もしニトリトちゃんが寂しさからキョウさんの模造品をつくろうとするなら、それに煙霧はいい顔をしない気がする。
煙霧がヤスハル君を庇った時はきっとそんなに難しいことは考えてなくて、自分が欠けてもヤスハル君が生きていれば、自分がいないなりの幸福が彼の周りに生まれ得ると思ったからそうしたんだと思うし。覚悟をする為の予兆があっただろうキョウやアカボシたちだって、それなりの信頼の上に遺すものを決めたことは同じだろう。少なくとも、煙霧の尺度で測るなら。
言語化するなら「遺すものは貴方の未来を望んでいる。共にあり続けたいと思うのなら実体なんかにして貴方の外に彼らを取り残そうとしないで、彼らの思い出とあなた自身とを溶け合わせることで共に生きて欲しい」というところだろうか。
これはヤスハルくんの肉体と一緒(物理)になっているかもしれない煙霧にあえていわせる脚本ベックスのチョケでもあります。
上記の考えは多分ポコ僕の思想には反するものだと思うのですが、それ以外の部分でも、煙霧って結構ポコ僕の思考に対して反対派でいて……仮にポコ僕には反してなくても、少なくともおねーちゃんとは思想対立してそうなのは目にみえてて……なんだか、お父さんとお母さんの偏屈なところばかりを受け継いだようになってて乾いた笑いがでちまうね。
特に反対しているのは、一瞬の切り抜きで個人を定義できないことは当然として、だからと言って仮定に基づいてなんでも許容していたら大切なものは壊れてしまうというのと、一度失われたものを同じ形のなにかに投影するのは、造られたものにも失われたものにも失礼だというところ。
たとえばピカピカのアンドロイドがポコと名付けられたとして、もしもそれが名付け人の思うポコの定義から外れた行為をするなら、名付け人は新しいアンドロイドの思考を否定するのか。そして否定されるなら、その否定を恐れてポコになりきろうとするソレと名付け人の関係は健全であるのか。とか。ポコとの差異として現れるソレに名前を付けないのはソレに対して不義理では無いか、とか。
上記思考があるなら煙霧自身は自分の存在を正しいと思うの?正しく無いと思うの?という謎が発生するかと思います。その件に関しては、煙霧は我思う故に我あり、つまり自分の思考は作られたものではなく生きていた煙霧の思考をそのまま受け継いだから問題はない……と思おうとしていると思います。
実験は成功だ、と記憶の中のアリマが語るように、煙霧の思考はまるっとスタックの中にうつされているのでしょう。よくもわるくも、彼が我が子として愛した煙霧の側面以外もまとめて。それが一側面だけを知る他人が複製したAIデータとの相違点。
しかし、それを証明できる人はどこにもいません。あくまで主観の話。だから煙霧はそう考えている、ではなく、そう思おうとしているというのが正しい。
おそらくは、煙霧自身にも「私は哲学的ゾンビかも、スワンプマンかも、私の思考は私が私だと思っているだけで、ヒトの煙霧とは全く異なる思考なのかも」という懸念はある。
だけどその懸念は自分だけの問題で、他人を巻き込む必要のない話なので端折っている。
ここほうれん草できてないポイントです👉
煙霧はにんげんさんの健やかな生活を応援する寄り添い方VOIDとして今を過ごしているのでね……ヒトだったかもしれない煙霧の思考は基本的には、よほど甘えられる相手にしか出さない。
そして甘えられると言えば、煙霧にはまだ実父という存在が残っているから。だから煙霧はアリマに対しては、「貴方に私は必要なかった。貴方に必要だったのは『家族』という形の寄る辺だけだ」というのを多分言います。
ほんとは悪い子じゃ無いとか、完璧なひとはいないとか、そんなことはどうでもよくて。ただ、私はそれにひどく傷つけられたのだと。当事者だからそのくらいの怒りは持っていいと思うのよ。
刺されたのは自己責任の範疇として、勝手に改造されて勝手に守られて勝手に身体を交渉材料にされて……おこっていいよ!これは!
あと、怒るって行為は究極「相手は自分の不満をきいてくれる」と思っている信頼や甘えの現れでもあると思うので……ね。
自身がアリマの子だと知らないうちから煙霧はVOIDをヒトの為の道具だと定義していた。親子で無意識的に同じことを思ってしまうなら、同じ罪を重ねる恐れがあるのなら、死者との同化とは対照的に、生者を否定し分離させることで自らの思想を「あいつの影響」と切り離すのだなあ。と。
そんなかんじでした。畳む