ネタバレろぐ
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gjetost

No.42

#寵獣戯画・点睛編
シナリオ終了後のPC4について。
以下に話す現状は、この話【https://chilblain41.sakura.ne.jp/gjetost...】の話を正史と仮定して話を転がしてるのですが、これに基づいて考えると、自分が特高になるまで努力して努力してきた理由が「家族(PC1最優先)の事を政治的にも武力的にも守れるような力を付けるため、PC1と再び家族として出会うため」という感じになってくるので……PC1が自分なりに望む道を見付けた今、特高という立ち位置に固執する意味が無くなってきちゃったんですよ。特に今回、蛍ちゃんが最後に「私が今度は迎えに行く」というような事を言ってくれてしまったので……楽果はめちゃ嬉しい、けど、まじで特高に固執する意味が~~~~無~~~になっておしまいになってしまっています。

一応今までは「踏み付けて来たものたちの犠牲を無駄にしないため」という名目で立ち続けてきたわけですが、そんなもん詭弁だって本人もわかっているんですよ。唯人を傷つけて尚進み続ける肩の荷を軽くする為の自己満足だってわかってる。だからそれを唱え続ける必要が無くなれば、巻かれた螺子が切れてしまえば、絡繰り人形はその場に崩れ落ちるしかないのです。そうしてその後に何を望むかというと、贖罪……になる……かなあ?という感じがします。形容としてはなんだか違う気もするんですけど、他に言い表す言葉がぱっと出てこない。

なんというか、楽果は自分の家系とか血筋に嫌気はさしてるけど、国自体は特段嫌いではないんですよ。窮屈な政府に思う所はあれど、一般的な市民の安全を守り生活を支えるという側面も確かにあるから。少なくとも妖の血の混ざったこの血筋の者達を今まで生かしてくれたのは、規定にさえ従えば保護を行う国の裁量があったからなわけで。
しかし国に仕えるとなれば、嫁を娶り良い子を産ませ育てることも必要になってくる。国民の義務ですね。それを楽果は、苦果を宿すループを繰り返したくないからとてもやだなって思っています。子供は嫌いじゃないけど血を継がせたくない。ここで断ち切ってしまいたい。的な。他人を愛することが大切であることはさまざまな書や理論を知る内に理解したけれど、父母の性質が合わず家庭を築く事に失敗した時のグロテスクな憎悪の側面を知ってしまっているからこそ、それを自らが生み出す事を恐れているみたいな。蛙の子は蛙とよく言いますから、己も両親と同じ怪獣になる可能性を拭いきれないんです。
それに楽果、母視点かつ歪んだ嫌な父親像を母に山ほど練り込まれていたら、同じ性別と血を持つ己への嫌悪が愛に勝って「子供なんか欲しくない」に着地してしまいそうな気がします。あの人と貴方は違う、なんて比較の中で育てられていたら、性別が同じ、血が同じというだけでも十分あの人との共通点と見做し、それだけで出来損ないのような感覚を覚えると思うんですよね。なのでその感情も含めて処理すると、やはり特高としての立場は捨てた方が楽果は絶対個人的な幸せには至れるんだよなと思います。それにその育て方をする親、絶対「穢れないで」と語るのと同じ口で「早く孫の顔見せろ」も言うでしょう。無理。

だから楽果としての望むことは国に戻ることではなく、マイノリティに追い遣られ迷うものに手を差し伸べて、あるいはその教えを習う為に手を伸ばし、擬似的な「トライブ/家族/子」を形成することなのでは?という気がしていたり。「私が望む誰にも誇れる私の姿」というのを追求するならそうなる気がします。信念的にもだし、今まで知らぬ顔をして踏み潰して来たものが何であったのかをちゃんとみる、理解する、という面でもだし。
ただ、この望みはこれまで踏み付けて来たものへの贖罪の面を持ちつつも、楽果が自らの生きる価値を定義する為の行いでもあるので、贖罪ともなんともいえない……なんか……なんかなんです。正気を失わずに生きる為の術?ヒトとしての形を保ちながら正当性を持たせるための自己満足?なんでしょうか。

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2022/02/24 15:00ごろ追記
なんか上記の文章しっくりこないなと思ってたんですがわかりました。手を差し伸べるのはマイノリティに限りませんね。対象の階級や多数派少数派に関わらず、そこに困難に苛まれている者がいたらできる限りの手を貸すのが、正しく出力された望みなのじゃないかと思います。
なので、あの後がちゃがちゃになった出島の中で一番に手を差し出すのはどんな人に対してだろうか、と老若男女を1d6に割り当ててロールをしてみたところ、「妖のおいちゃん」という結果になりました。まじ?
他の出目には逸れたちびっこ、一般通過市民、遊郭関係者、宣教師、火事場泥棒のハグレ忍者 とか割り振ってたのですがそこ行くかあ……という感じはちょっとあり。その出会いがどうなるかは完璧にシナリオ外の話になるのでまたそのうち思いついたらどこかで書いたり、大正舞台シナリオに行くことがあったら妖のおいちゃんの方を何かしらの流派と設定して出すかも知れません。
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今まで無理矢理信じていた道を曲げようとするのだから、上記の道を選ぶまでにはきっとしばらくの時間を要するのだと思うのですが、悩んだまま時が過ぎたら、楽果は異界の内側に残るのでしょうか。もし異界が封じられる前にその決断をしたのなら、異界が閉じてしまう前に、いずれ出島付近で楽果の纏っていた絡繰の靴や制服が見つかって戦死扱いになったりするよう楽果は仕向けるかもしれません。
そうしてからしばらくしてから、帝都にあるだろう母方の家にはきっと、華美な装飾の送り主の名の無い手紙が届くんです。といっても、あんな騒動があってすぐの郵便物がどうなるかはわかりませんので、ちゃんと届くかはわかりませんが。
ですがもしも誰かの手によって封筒が開かれるのなら、それはきっと戦死した筈の特高からの手紙で、時候の挨拶や世間話、謝罪が並べられる一方で一文、「虚栄としての価値しかない私が価値を失くして帰るより、戦地で華々しく散ったと語る方が、貴方も鼻が高いでしょう。それに、貴方の恨む血が絶えたとなれば、貴方もきっと晴れ晴れとした気持ちになるでしょう。」とか、死をほのめかすような恨みがましい言葉が並べてあるのかもしれませんね。
当時のその辺の制度がわかる訳ではないのですが、保険回りの手続きを発生させて相続すべき人にそれまでの遺産を送り込みつつ、自分の痕跡を消し、大衆の印象を損なわないまま辞職する一番の手は「名誉ある死」を装う事だと思うのですがどうなんでしょうか。不祥事を起こした会社から自殺者が出るとそれ以上責められなかったりするのは定石じゃないですか。そんな感じで。そこはかとなく火星の女を引き摺ってる感じも……する!けど!


とりあえず母方との因縁は此処で楽果側からは断ち切れるものとして。あとはそう、バケモノの子みながら思ったんですけど、楽果、父親という存在に嫌悪を抱いている感じもなんというか、中学二年女子学生の精神性で止まってる感じがありますね……。
多分、今更父親に逢いたくないって気持ちが本当に強くあるのだと思います。よくわからないなあ……って反応されても、会いたかったとか後悔してたとか肯定的な反応されても、刷り込まれた「嫌い」が先に出てうまく受け入れる感情になれない気がする。好意的に接してこられても「何を今更」という気持ちが先に出てしまって受け入れられない。母方とは文章で決別できても、父方とは現状ではマジで文字一つやりとりしたくないのでしょうね。教え込まれた嫌悪と、それに伴う自己嫌悪、これまでの経験がぐるぐるして無理です。


……このお話を超えて、楽果は発信と受容という感覚が上手く出来上がってない気がしました。受容する事は多数の視点を得る事。そうして得る視点は他人を裁く時には酷く心に刺さるモノだから、対象の事を理解したと思いながらも決してすすんで共感しようとしなかった。後から切り捨てるかもしれない相手の心情を知ってしまえば傷つくから、極力他人と混ざり合う事がしたくなかったんだろうな。その理論に基づいて、自分を切り捨てるかもしれない他人が攻撃する時に苦しくならないように自分の語る言語も圧縮した。本音を吐露して憐れみを受ける事を、共感されてしまう事を恐れた。
だから、切り捨てる必要性を一時的にか永続的にか無くすだろう今後においては、その恐れを払拭する為に他者に手を伸ばすこと、恐れながらでも混じり合う事を目指して行くのだろうなというかんじです。

翼のような羽織はここまで考える前から「ぼんやり防御感ありそうだな~」と思っていたのでその演出として着せていたのですが、ここで因果関係が結べたかもしれない。
肥大化した自我と安物のブーツは脱ぎ捨てましょうね。畳む

シノビガミ