ネタバレろぐ
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gjetost

No.90

#死ぬまでの話
設定もりお。
PC1が死ぬまでの話、にPC1に怨恨がある学生PC3を持っていくにあたって、家にも学校にも居場所がない感じにすると死に対する感情の対比が生まれるかなって思うんだけどどうですか諸兄

その情報をシナリオ上で出すかはわかりませんが、怨恨の由来は明確にしておいた方が色んな事象にコメントしやすいかなって…

PC3視点、「双黒の烙印が何かは把握していないけれど血戦の儀をした」ってことは、PC1とPC3に双黒の烙印があると不都合な人間か、双方の奥義を求める人間がいてPC1とPC3を戦わせたって事だと思うんですよ。自ら戦い出すにしても、PC3はHO上双黒の烙印がある事による不都合を知らないので動機が薄い気がする。その場合、彼等が戦う用仕向けるのはPC3が逆らえない人間、上司か親兄弟かなのではないかと(PC1はPC3に止めを刺さなかったので一旦除外。途中で血戦の儀の真実に気付いて辞めたとかあるかもしんないけど)。
そして、儀式を行わせた者がどちらにどの効果を適用しようとしたのだとしても、PC3が負けたのに殺されなかったせいで、双黒の烙印は解決されずに終わった。それはPC3を逃がしたPC1の罪になるかもしれないが、PC3の罪にもなりえる。そうなってくると儀式失敗後のPC3の世間での扱いって負け犬になるんですよね!

「大人しくあそこで死んでいれば良かったものを!そうすればPC1は救われたのに!」とか
「対の相手に負けるなぞ!一族の恥である!」とか
「お前たちがあそこで殺し合えば儀式が完了したのに!」とか

そういう非難が、未成年で家に捕縛されているPC3の方に多少流れ込んでもおかしくないかな?とかとか。
非難されずとも、居ないモノ扱い、あるいは不要なモノ扱いはされてると思う。そうなったら人格…歪むだろうなあって…


悪いコトをしても良いコトをしても、もう不要な存在だから何にも思われない。何にも心配されない。それは自由ともいえる。畜生として虐待されるよりは断然マシなのだろうけど、無関心はそれはそれで堪えるものだ。
だから、誰かに認められたくて悪いコトをするのかもしれない。「悪い人」を「暴力」でねじ伏せて「良い人」を演じる。世界のヒーローだって皆やってる。「人に暴力をふるう」「悪い人を懲らしめる」の両方を行う事で、他人に「悪人」と「善人」どちらか色を付けて貰おうとしている。人格が不安定で自分に色を付けられないから。特に結埜は蓮華王拳なので、人に暴力を振るう事は固く禁じられている筈。その上で一般人すらもパンチしていくので思いもひとしおですね。半分くらいは憂さ晴らしでしょうけど。

表の顔は「正義の味方」 とか、ありですね…病んでる感じがして…

そんな不安定な人格しかないから、「一般人」として過ごさなければいけない学生生活の中で周りに馴染める訳も無い。
学校という制約の中では力を隠さなければならないし、力が必ずしも価値にはならない。制約の中で繰り広げられる楽しい話題も、何が楽しいのかてんでわからない(感情に共感してくれる人が身近に居ないので、「共有する事、共感する事=楽しい」の図式がわからない)。そうして浮くんですね…一般人の集団から…。皆楽しそうにしてるけどなんも楽しくない。結埜楽しいって感情ある?無いかもしれないですね。
そんな無感情、無関心マンである上に、偶にしか出席しないし、「ヒーローごっこ」でよく傷だらけになっているので、クラスメイトからはめちゃくちゃ気持ち悪がられてるんじゃないですかね…虐げられているか否かはわかりませんが(そこまで人となりを掘る必要はない気がする)、不要とされているのはきっと確かです。


家にも日常にも学校にも、どこにも居場所が無い現状は結埜自身寂しい筈なのですが、透明になり過ぎて楽しいも悲しいもわからなくなってしまった為に、感じるぽっかりとした感覚が何かわからないのです。

それでも一つだけ確かな感情があって、それがPC1に対する屈辱であり怨恨なんでしょう。


誰も褒めてくれない、叱りもしない、必要とされてない、ならば居る必要なんてない。存在するだけ無駄。
必要無い自分に与えられて良いものなんて無い。他人の資源を食い潰してまで生きる意味が解らない。
いっそ消えてしまえば思い悩む事は無くなるんじゃないか。死んでしまう事が誰かの幸福になるなんじゃないか。
僕のいない朝は今よりずっと素晴らしくて…全ての歯車がかみ合った…きっとそんな世界なんだ…よ…

そんなふうに希死念慮に潰されそうになった時に自分の命を繋ぎとめるのが、PC1に対する恨み…だと結埜は思ってる。
結埜は「PC1を殺すまで自分は死ねない=それほど恨みが深いのだ」って思ってるけど、本当の所は、「他所に居場所はないけれど、自分を見止め逃がしたPC1なら何か答えてくれるんじゃないか」っていう期待があるのではと疑ってる。ていうかPC1からPC3に対する感情が何かしらHOで定められているんじゃないかとPLが期待している。メタい!

だから、PC1の余命が僅かだと知った時、相手への心配も程々に「PC1が死んだら何に縋って生きていけばいいのか?」なんて恐怖が心を蝕むわけです。寄る辺が無い。PC1が死んでしまえば、自分は本当に透明になってしまう。消えてしまう事が恐ろしい。或は、いっそこのまま一緒に消えてなくなってしまいたい。
そんな恐怖を少し和らげる解決案として生まれてくるのが「自分より強かった誰かの幻影変わらず追い続ける」事。
死の瞬間までPC1が自分より強ければ、PC1の幻影を追い続ける事で寂しさを紛らわせる事ができる。死んだ者は一生衰えず、自分より強い姿のまま己の心に棲む。今までと変わらずに過ごす事ができる。他の事象から逃げ続ける事ができる。その逃避が使命である「PC1から受けた屈辱を忘れない事」や「せめて、自らを上回った姿のまま死ね。」に繋がるんじゃないかなって…
なので、これまでに回った死話よろしくPC1がPC3の事を忘れているような素振りをしはじめたら、結埜はガッチガチにキレるのでしょうね。というか、勝手に期待したにも関わらず、裏切られたと勝手に傷付いて怒り出す。メンヘラか?そうだよ。


PC1が死に対してどういう感情を持ってるかは人それぞれだと思うのですが、もしも「死にたくない」側だった時に、未成年PC3本人にはとても重い、しかし大人にはとても軽く見える「死にたい」をぶつけたらどうなるのかなって思ってます。


自分が生きる意味の多くを勝手にPC1に割り振って、一方的にキレる自己中心的な心理のがこのHOに対するワイの答えなので、キレ芸まき散らしていきたいですね。がんばります。畳む

シノビガミ